スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

AKB49統括1〜浦川みのりの存在って〜

 昨日(1月24日)は仙台に行っていました。
 もともとは仙台市交通局東西線の初乗車が目的で、それならついでに駅メモやekiShで残っている所もついでに、ということになりまして。
 ちなみにそういうわけで、今日はいったん仙台に行った後、阿武隈急行に乗って福島に戻り、そこから赤湯に転進して山形鉄道、さらに山形に行って左沢線をクリアした後、仙山線で仙台に出て東西線初乗車しました。
 でも仙台市交通局に限らず地下鉄は相変わらず手ごわいです。もともと地下鉄モードが整備されている駅コレやGPSだけでなくWi-fiからも位置情報を判断できる駅メモなどは比較的あっさりと制圧が完了したのですが、GPSのみの判別、挙げ句に認識バンドの狭さがあるので、ekiShでは相当てこずりました。結局2時間では制圧しきれず、東西線の終点を除いた仙台東方と南北線北仙台以北の2駅が残る状態のままです*1
 で終わったと思ったら、駅コレで今度は仙石東北ラインが制圧していないことが判明。またやり直しなのか…


 ということで本編。
 『AKB49〜恋愛禁止条例〜』が終わったので、一旦ここである程度テーマを絞って話をしていきたいと感じました。
 ということで第1回は今回の話の主軸でもある『浦川みのり』という架空の女性の存在について考えてみたいと思う。


 言うまでもないことですが、『浦川みのり』は本来吉永寛子の同級生である浦山実が女装したものである。
 そしてその目的は、「吉永寛子を応援すること」という意味では最後まで一貫した姿勢であったのだ。
 オーディションを受けた経緯はともかく*2、みのりと寛子のコンビは屈指の名コンビとして知られるようになるけど、実は最初からそうではなかった訳です。
 もともと寛子は前田敦子のファンだったのだけど、寛子のオーディション中に前田が入ってきて「歌が聴こえなかったから終わったと思っていた」と心無い言葉を寛子に浴びせたことでみのりが怒り、自分のオーディションの中で前田がいる前で「あっちゃん以外」と答えて前田に暴言を浴びせたところ、前田ではなく寛子がキレて「あっちゃんが悪いわけではない」とかばった形になり、最初は寛子からの受けは非常に悪かったのである。
 しかし、みのりがシャワー室に閉じ込められている前田を救出したことで、単にみのりが前田を嫌っていたわけではないことに気付いた寛子が、前田にも言いたいことが言えるみのりにあこがれの気持ちを持つようになって、そこから屈指の仲の良さにつながっていくことになる。


 そして実は寛子と一緒にお願いをした時に、「吉永をAKBのセンターにする」と書き、それが叶うまでは実としての寛子への想いを封印する「恋愛禁止条例」として結局は最後まで通すことになる。


 それが一時騒動につながったこともあった。NMB編で高熱を出したみのりを山本彩が看病していると、みのりが「吉永をセンターに立たせたい」と譫言のように呟いたのを聞いて、大島優子に相談、大島が秋元康に聞いたところ、みのりと「みのりか寛子が8位以内に入ったら任意がセンターの曲を書く」という約束をしたことを明かし、みのりの目標は「寛子をセンターにすること」と言う。それに納得できない大島が総選挙前日の歌番組の前に山本と話をしている所を寛子が聞いてしまい、それを受けて大島が聞いた話を寛子にする。
 それを聞いて激怒した寛子が高橋みなみの前でみのりを引っぱたき、「センターを目指して闘っている仲間に対して失礼、自分はみのりと真剣に闘いたかったのに…」と悔しがる。
 ここでややこしいのは、時系列的にこういう話になっているということである。


1 さいたまスーパーアリーナ公演の時にみのりと秋元康が約束をする。
2 父親から暗にアイドルを目指せと言われた寛子が『みのりに勝ってセンターになる』と宣言
3 秋元康の話を聞いて寛子が自分がみのりに頼りすぎてきたことに気付く。
4 みのりが寛子に生放送中にビンタを張り、「見かけ上の」絶縁宣言をする
5 みのりの譫言を山本が聞き、大島に相談
6 大島が秋元康のところに行き、約束の件とみのりの目的が「寛子をセンターにすること」と言う話をする。
7 大島が6の話を山本にしているのを寛子が聞き、寛子にも聞かせる。
8 寛子がみのりに約束の話を確認する。
10 寛子がみのりを引っぱたく。


 この時系列で良く見ると番号が空白になっている所があるが、実(じつ)はそこにみのりの思惑が入っていたのである。


7B*3 実が秋元康と会い「みのりが寛子より順位が上だったらみのりがセンターの曲を書く」ように依頼する。
9 寛子には7Bの事実をわざと言わず、「自分が8位以内になったら寛子をセンターにする」と嘘をつく。


 実(じつ)はみのりとしては、1の時には実際に自分が8位以内に入り、センターを寛子に譲るつもりでいたのだ。
 しかし2で寛子の決意を聞いたみのりは、寛子が自力でセンターを奪い取れるよう、その時に自分が上にいなければ彼女をセンターにする意味がない、そう考え、3で弱気になった寛子に本気で自分と闘ってもらいたくてわざと公開ビンタをしたのだ。
 そして寛子が総選挙前日の時に大島から聞いた話を確認した際に、あえて秋元康に「自分が上なら自分がセンターの曲を書く」ように言っておきながら、その事実をわざと隠して、寛子には「自分が8位以内になったら寛子をセンターにする」と答えたのだ。
 そして予想通り、寛子が「センターを与えられること」を潔しとしないとばかりに激怒し、みのりを悪しざまに罵る。さすがに高橋みなみが収めようとするが、もともと寛子が本気でみのりを潰してきて欲しいと思っていたみのりが「これでいい」と答えたのでその場で収まったのだが、結果的にその後のステージでみのりと寛子だけが目立つような強烈なオーラを発揮して、最終的には寛子が8位に入ることになる。


 もっともその後、8位に入った寛子がみのりの思惑に気付いて、みのりと秋元が行った約束を盾に、最初は「みのりか寛子が」センターの曲であったものを「みのりと寛子が」センターの曲を作れと言ったのに間違いはないだろうなと(笑)


 そしてみのりが実の女装だと分かった時にみのりのお守りの中身を見て、予想通りみのり(実)が自分をセンターにしたがっていたことを知って、みのりを笑って許したのだと思います。


 それにしても長くなったな(笑)
 それでは別の角度からの話を後日。
 ちなみにみのりと寛子のオーラ合戦を思い出している時、何となく1992年のモナコのセナとマンセルのバトル*4を思い出した私って、結構古い世代ですよね(笑)

*1:仙台西方は広瀬川を渡るところでいったん地上に出るので、大町西公園と国際センターは取れるのですが、それ以外の駅はすべて各駅に降りて取りに行かないといけない状況。ついでに南北線勾当台公園も制圧していなかったので、青葉通一番町から広瀬通まで歩き、その際に勾当台公園も制圧する

*2:そもそも当時のAKBには書類審査を行った上で最終予選としてのオーディションがあったはずで、寛子が受けたからといって最終オーディションまで行かない場合も少なくないし、ましてや寛子が出るからと後追いで応募してしかも番号が寛子の直後とか、普通にありえないとは思いますけどね。まあそこは漫画なので(笑)

*3:実質的に7と同時のタイミング

*4:セナとマンセルはマンセルがピットでバックギアを使って失格になった後も走り続けてセナを撃墜したとか、セナがブレーキテストをしてマンセルが追突して殴り合いの喧嘩になったり、そういった武勇伝も少なくないのですが、センチ単位でのバトルをやったりしてフェアな時はフェアなのです。92年のモナコもトップ独走していたマンセルがパンクを起こしてピットに入っている隙にセナがトップに立ったものの、新しいタイヤに変えたマンセルが猛追、残り3〜4周は後方のマンセルがセナを抜こうとしてあちこちでオーバーテイクを試み、逆にセナは抜かれまいと滑りやすいタイヤを巧みにスライドさせてマンセルの進路を防ぎ、最終的にセナがマンセルを0.2秒差で抑えきる。トップのセナに青旗(速い車があるから追い越させろという指示)が振られたり、ゴール後のセナのマシンから白煙が出るなど、まさに限界を超えた名バトルの一つです