スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

「浦川みのり」最後のMC

 今日は火曜日ですが、明日が天皇誕生日なので、早めのアップになります*1。と同時に、今年最後のアップになる、のかな?(笑)
 まあ微妙に凹んでいますがw


 前回は「初日」を1曲フルコーラスで紹介したと思ったら、その後は浦川みのりと吉永寛子のWセンター曲「ハニー・ミルク・ラテ」のワンシーンだけというあまりにも極端な構成(笑)で、前半はエース経験者の前田敦子大島優子の会話で話をつなぐ。
 公演の感想を優子が「良い公演」と褒めると、敦子は「たかみながいるからね」とかつての相棒の名前を出す。
 次に優子が「てか、あいつもう泣いてなかった?」と言うと、敦子は「男はすぐ泣く」と思わずポロリ。
 敦子はGEKOKU嬢が&Jewelとの対抗ライブで過呼吸で倒れたみのりを介抱する際、みのりが男であることを知っていたのだ。
 その後はみのりの泣いた話で盛り上がるが、優子の「でもさ、なーんか気になっちゃうんだよねー」という言葉には敦子も同調する。
 そして優子が「大丈夫なんかな、AKB…」と心配するが、敦子は、「まだたかみなも寛子もいる」と初期からの相棒と自分を追って自分の立場に並んだ後輩の名前を出して「来年はもっと凄い子も入ってくる、そうやってAKBはまわってくんだよ、今までも、これからもずっと…」といって心配はしない口調で語る。
 そんな2人の目に100%笑ってるみのりの表情が飛び込んでくる。


 一方みのりは最後のMCでマイクを2本持っていくという失態を犯しながら、100%の笑顔で最後のMCに向かう。しかしみのりは自分に声をかけてくるファンの姿を見ているうちに、持ってきていたカンペをクシャクシャにして、「例えば、例えばですよ」と断った上で、


AKBに男がいたらダメですか?


 とファンに語りかける。
 これでは公演がメチャクチャになると止めようとする戸賀崎を、寛子が「待ってください、大丈夫です」と制する。
 寛子は浦川みのりの相棒として、浦山実の同級生として、ここで自分で自分の公演を潰すような馬鹿な真似はしない、そう信じていたのだ。


男がアイドルをやりたいというのは変ですか?
 きっかけも不純で、その存在がどんなに不合理で障害に満ちていても、みんなに応援され、仲間と支えあううちに、分不相応な夢を見てしまうのは驕りでしょうか?



 もちろんファンはこの時点で一体みのりが何を話しているのかはわかっていない。
 でも浦川みのりが浦山実という男の女装であると分かっていて、そして実がどういう思いでみのりに女装していたかを知るスタッフやメンバーにしてみれば、みのりの言葉は非常に重い意味を持つ言葉であった。


きっと、きっと私は誰よりもAKBに向いていません。
 皆さんに可愛いって言ってもらったり、輝いてるって言ってもらえるような、そんな立場でもなければ資格もありません。
 それでも私は、AKB48が好きです!
 この『ステージ』が、ともに闘う『仲間』が、皆さんのことが大好きです!
 たとえこの先私の人生がどんな辛苦や不遇に見舞われても、『今日、このステージに立てた』、それだけで私の人生は『幸せ』だったって言えます!
 4年間『浦川みのり』を支えてくれて、ありがとうございました



 『浦川みのり』という名を借りた浦山実の想いを聞いたファンからの声援に、みのりの顔から大量の涙が出てくる。
 そして最後の力を振り絞って、「1,2,3,4」とコール、それを聞いたメンバーがマイクを持って飛び出し、本来は大島優子がセンターの「ヘビーローテーション」が始まった。
 その模様を見ていた敦子と優子も、やっぱりみのりらしいと笑い合っていた。


 ここではあえてみのりが自分への脅迫を逆手にとって、自分が男であることを自らバラすための伏線を必死に張っている所がポイントである。
 あえて最初に男であることをバラそうとする伏線を張っておいてから、でもきちんとみんなへの感謝の気持ちを表し、きちんと『浦川みのり』として締めようとする想いが見て取れるのが素晴らしい所である。
 と同時に、それをアシストする形になった寛子の想いもさすがである。
 みのりと4年間一緒にいたからこそ分かる、みのりがファンや仲間、公演、そしてAKBを大切にしようとする想い、そしてみのりとして女装することになった実の想いと苦悩を、一言一句聞き逃さないよう必死の想いでみのりの言葉を聞いていた。
 もちろん実の「ステージに立ちたい」という想いを聞いているからこそ、寛子はみのりが自分から公演を潰すような馬鹿な真似はしない、そう確信しているということもあるのだろう。
 寛子が戸賀崎を止めた時も、すぐ後ろにいる戸賀崎の方ではなく前方のステージに立っているみのりをずっと見ていた、そのことからもよく伝わってきた。
 寛子にとってはみのりが「基準」であり、みのりの後姿をみて育ってきた。だからこそ、しっかりとみのりの後姿を目に焼き付けて、今度は自分がみのりのように後輩たちに背中で育てる、そんな覚悟を寛子はみのりのMCから心に刻もうとしていたのだと思う。
 それがAKBの歴史、自分が憧れていた初代エース前田敦子、自分が所属するチームKのキャプテンだった2代目エース大島優子、そして自分にとって相棒であり、憧れであり、そして親友だった3代目エース浦川みのりの後を受けて4代目エースを務める立場として当然と言わんばかりの姿勢であった。

*1:一応書き始めたのは22日です。気づいたら日付が変わっていましたw