スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

不定期連載、最長片道きっぷの旅'93 vol.27

 ということでとりあえず復帰しました。
 いや、相変わらず鬱気味なのはかわらないのですが、とりあえず何かやっていた方がいいだろう、ということで。


 第26日目(8月12日(木))晴れ
 沼津→豊橋→辰野→岡谷
129 沼津5:04→静岡5:55(725M/2-4/モハ112-2099)
130 静岡6:52→浜松8:06(421M/4-7/クハ111-545)
131 浜松9:04→豊橋9:37(553M/1-3/クハ210-5015)
132 豊橋10:34→天竜峡13:40(2721M/1-3→2/クハ118-5013)
133 天竜峡14:49→飯田15:15(251M/1-1/クモハ119-5106)
134 飯田16:14→岡谷18:26(253M/1-3/クハ115-617)


 今日は公式スケジュールの中で最も早い5時04分発の静岡行きがスタートである。アプローチルートを含めるともっと早い列車が8月2日にあったのだが、寝坊をしてしまったので名実共に最も早いスタートになった。沼津の宿を出た時にはまだ暗闇が空を覆っていた。
 静岡行きは113系4両編成。まだ日の昇っていない沼津駅をゆっくりと発車した。
 右窓に富士山が見えているが、今日の富士山は雲一つない快晴で、山頂や登山口では御来光を待っているのだろうな、と思う。吉原、富士と「紙の町」を通過するが、薄暗い空に早くも白い煙が上がっていた。
 富士川を渡ると次第に山が迫り出してくる。蒲原から清水までの間は山と海に挟まれた海岸線を通るのだが、気が付くと国道1号線と東名高速が近寄ってきて、入り乱れるように狭い海岸線を通過していった。
 清水を出ると静岡鉄道と平行して走る。静岡近郊では富士〜島田間で日中10分ヘッドを実現させているが、清水〜静岡間は途中草薙だけしか駅がないので、静岡鉄道の付け入る隙がまだあるのだろう。この列車の終着の静岡に近付き、6時前だというのに早くも途中下車となる。
 まだ静岡駅は目が覚めていないような雰囲気であった。コンコースのあちこちに寝転がっている人が多い。見ていてルンペンのようで気分が悪い。コンコースがきれいなだけに、残念ではあった。


 6時52分発の浜松行きは、まず熱海からの113系3両編成が3番線ホームにとまり、その後ろに113系4両編成を増結する。ちょうど浜松に着く時間帯が通勤時間帯になるので、編成を長くしたのであろう。静岡県最大の都市・浜松*1の力をまざまざと見せつけられたような感じである。私はもちろん増結された車両の方に席を占める。
 静岡から海沿いに10分ほど走って焼津まで出るが、焼津を出ると思い切ったかのように海岸線から離れていく。海岸線を通ると大きく迂回する形になるからだが、まだトンネルを掘る技術の稚拙だった頃の開業なだけに、何とかトンネルを掘らずに進もうと左に右にカーブを切りながら坂を上っていく。あるところでは新幹線と直角に交差するものだから、本当に西に向かっているのか、と不思議に思いたくもなる。この辺りになると山肌はみかんから茶に変わってきている。
 掛川にはもともと新幹線の駅はなかったのだが、せっかく駅のそばにあるのに利用できないのはもったいない、ましてや天竜浜名湖鉄道との乗り換え駅だ、ということもあったのだろうか、数年前に新たに新幹線も停まるようになった。その掛川からは浜松の都市圏に入ったようで、7両編成の列車の車内に次第に立っている人が増えてきた。天竜川を渡り、川の名前と同じ天竜川駅に停まると、次は終点の浜松である。静岡のときと同じようにコンクリートアーチを登り、同じように新幹線が寄ってきて、8時6分、静岡駅とよく似た構造の浜松駅に着いた。着くと早速今着いた7両編成の電車が3両編成と4両編成のそれぞれの列車に分割されていた。
 浜松では駅前の散策がてら遠州鉄道の駅までいってみる。遠州鉄道はこの浜松と天竜浜名湖鉄道西鹿島を結ぶ鉄道で、途中浜北を通るので利用客は多いようだ。
 浜松からはロングシートの211系電車で愛知県に入る。県境越えの区間だが、意外に利用客は多い。浜名湖を渡ると弁天島。この駅は上野原同様に島式ホームの上に改札がある。ちょうど行き違いになった上り列車から足の悪そうな女性が降りて、松葉杖をついてホームを歩いていた。掛川から浜名湖の北を通るようなルートをたどってきた天竜浜名湖鉄道が再び右から現れると新所原、この先で愛知県に入り、9時27分、豊橋に到着した。


 豊橋駅は不思議な駅である。基本的にはJR東海の駅なのだが、その中にライバルの名鉄が軒を借りている。しかも1・2番線の飯田線と4番線以降の東海道本線の間に「3番線」という形で名鉄のホームがある。こんな不思議な構造になったのには、話をさかのぼる必要があるだろう。
 もともとは飯田線のこのあたりは「豊川鉄道」という私鉄線であった。名鉄豊橋進出を目論んでいたが、その際に豊川鉄道と名鉄がそれぞれ線路を単線ずつ所有し、それを複線区間として共用しようという形になったのだ。とそこまでは良かったのだが、その後豊川鉄道が戦時買収で国鉄の所有になり、そしてJR東海の所有になって、結果普通ならあり得ないようなライバルの呉越同舟となったわけである。
 10時34分発の茅野行きは1番線ホームからの発車となる。既に1番線ホームには荷物が置かれ、列が作られている。私はしばらく静観をしていたのだが、同じ1番線発車の本長篠行きに乗る人が少ないのを見て慌てて列の後ろについた。それならばと、私はある情報を思い出して、見当を付けて荷物を置いた。実は私はこの列車が3両編成で走るという情報をつかんでいたので、今停まっている本長篠行きの2両編成の列車の位置をたよりにだいたいこの辺りにドアがくるだろうと見当を付けて荷物を置いたのである。とそこまでは良かったのだが、どこからか「茅野行きは4両編成」という情報が流れてきて、それならばとさらに1両分先の位置に動いてしまう。実はこの時に何か変だな、とは思ったのだが、実際に来た列車を見て慌てて列の後ろに並び直すはめになった。
 10時34分、茅野行きは定刻に動き始めた。共用区間の船町、下地を通過、JRのワンマン119系電車と名鉄の電車が相次いで「上り線」をすれ違っていく。平井の信号所で名鉄と袂を分かつとすぐ小坂井に到着する。この間わずか4.4kmしかないのだが、早くも3駅めである。2721Mは豊橋〜辰野間195.8kmを5時間40分、表定速度34.5km/hときわめてゆっくりした速度で走り通す。これを終点の茅野まで乗り通して欠伸一つしないようだったら、宮脇俊三氏の書物じゃないが、確かに鉄道病院行きの資格があるといっていいだろう*2
 名鉄電車の停まる豊川からは単線区間になる。次の三河一宮では列車行き違いのために4分停まるという。私はホームに降りて上り列車が来るのを待った。既に外は暑くなりだしている。
 大海からは鳳来寺鉄道のルートになる。そういえば長篠のあたり、架線柱が緑色の鉄製のものが多い。湯谷温泉の辺りでは川遊びを楽しむ親子連れが多い。長篠や鳳来峡の辺りでは車掌が車窓のガイドをやっている。
 三河川合からから天竜峡までは三信鉄道のレールになる。この三信鉄道は山あいの鉄道で比較的開通が新しいためトンネルが多い。100以上あるトンネルのほとんどがこの三信鉄道の区間に集中している。
 12時18分、中部天竜到着。既に天竜川流域に移っている。次の佐久間からはトンネルで水窪川の谷に移る。佐久間ダムの建設のために天竜川ぞいの旧線が水没してしまうために新たに付け替えられた区間である。水窪川沿いの「国鉄線」はさすがに乗り心地が悪くない。水窪から再びトンネルで天竜川の谷に戻り、大嵐、小和田と停まる。小和田は皇太子妃雅子様の苗字で、駅の入場券を買ったりホームで結婚式を挙げたりと縁起をかつぐ人が多かったが、駅そのものは片面ホーム1面だけの静かで小さな駅である。
 小和田を出ると静岡県から長野県に入る。天竜川は川幅いっぱいに流れているが、少々泥の色が濃いような感じ。唐笠の辺りから天竜峡の景勝が左に広がる。名前につられて天竜峡まで行ったのでは少々行き過ぎで、川下りの船の乗り場が天竜峡にあるのだ。
 13時40分、2分遅れで天竜峡「駅」に到着。このまま乗っていくのも悪くはないが、何しろ豊橋からは飲まず食わずである。
いい加減ここら辺で一服しないと身体が持たない。
 天竜境の駅は見た目「私鉄」の駅という感じである。1番線ホームは改札を抜けてすぐ目の前にあるが、2・3番線ホームは豊橋方にある踏切を渡ることになる。しかもその踏切の1m豊橋寄りには公道の踏切があり、公道から簡単にホームに上がれる構造になっている。それではあまりにも都合が悪いので「通行禁止」とペンキで書かれているのだが、どうも駅員がそれをやぶっているので始末が悪い。
 14時49分発の飯田行きは1両編成の電車である。何となく「編成」というのがおこがましいような気がしないでもない。
 天竜峡からは伊那電気鉄道のエリアで、80kmの中に辰野・天竜峡を合わせて44の駅がある。特に天竜峡から飯田までは13.2kmの間に途中駅が8、平均駅間距離が1.4kmという状況だから、トップスピードで走っているより加速やブレーキの時間の方が多い。所要時間も24分かかるような有り様である。列車は天竜からしばらく離れて、飯田の市街へと入っていった。
 16時14分発の岡谷行きはJR東日本115系電車である。基本的にはJR東海の路線であり、119系電車が主体ではあるのだが、飯田と長野・松本に快速列車を運転し、またJR東海の119系電車もJR東日本の辰野〜岡谷・上諏訪・茅野間を走っているから、運賃清算の意味合いも込めて入っているのであろう。
 再び天竜川の谷に戻り、北に進む。川はできるだけ低いところに流れるようにして蛇行をするのだが、異な大島から飯田線のレールが蛇行を始める。「私鉄」の宿命で多くの集落で列車を利用できるようにという意味合いもあるのだろう。駒ヶ根伊那市と列車はこまめに停まりながら客を拾い、そして降ろしていく。既に日は西に傾き、駒ヶ岳のシルエットが鮮やかである。
 飯田線最後の駅・宮木でかなり降りた後、中央本線と合流して辰野に着く。ここで乗務員がJR東日本の乗務員に変わり、名実共にJR東日本の列車となる。すっかり天竜川は大人しい、どこにでもある川の流れになっていた。
 18時26分、岡谷駅の行き止まりホームに到着。今日も茅野のホテルに泊まることにするのだが、(実はわざわざ一昨日小淵沢から茅野まで向かったのは、予約のための電話代が面倒だったので今日の宿の予約とまとめて小淵沢と岡谷の中間にある茅野にしたためであった)それまで岡谷の駅前を散策した。

*1:当然現在は清水と統合した静岡の方が大きいが、これは統合前の話

*2:新潮社文庫「最長片道切符の旅」173ページ