スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

不定期連載、最長片道きっぷの旅'93 vol.11

 まず初めにお断りを。
 とりあえず何だかんだと言ってやってきた「最長片道きっぷの旅」のレポートですが、誠に申し訳ありませんが、7月26日のレポートを8月25日にアップする予定ですので、そのあと1週間くらい更新を止めます。
 最後の週はとにかく無性に旅に出たいという気分なので書く余裕がなくなりますし、第3ステージの旅行日誌見つけておかないと(^^;)


9日目(7月23日(金))曇りのち晴れ
 八戸→好摩→大館→弘前
33 八戸5:36→好摩7:23(1530/5-7/オハフ50 2366)
34 好摩8:57→大館11:29(1929D/1-1/キハ52 144)
外 大館12:36→鷹ノ巣12:56(1628M/1-3/クハ700-6)
外 鷹ノ巣14:26→大館14:40(「いなほ3号」/5号車-6/モハ485-1058)
35 大館15:13→弘前16:06(2723D/1-2/キハ48 517)


 4時半に目が覚めるが、なかなか身体がついてこない。5時までグダグダ布団の中にい続けるが、これ以上はまずいので何とか起きて旅を始める。
 5時36分発の一ノ関行きの列車は50系客車の7両編成。今まで編成が短い列車ばかりだから、やけに堂々とした雰囲気を感じさせる。ちなみにこの編成を牽引する機関車はED75が1機だけである。
 各車両にわずかの客を載せた列車は、馬淵川を上ったあと、奥中山からは北上川に沿って走っていく。さすがに通勤通学列車の趣も沼宮内あたりから出始めた。
 北上川を渡り、これから乗る花輪線が近づいてくると、間もなく好摩である。好摩ではポイントをガタゴトと渡って本来花輪線の列車の発着する1番線に停車した。そのあおりを受けて、7時25分発の大館行きは東北本線ホームの2番線に停車することになる。この列車はかつて客車列車の後ろにくっついて、この好摩で切り離されて自力で花輪線に行く列車だった。花輪線の列車が出たあと、本来東北本線の上り列車が発着する3番線を「はつかり2号」が通過していった。


 8時57分に好摩を出た花輪線の大館行きはキハ52の単行列車。トイレのない側の運転席後ろの席が展望席になっていて、そこがたまたま空いていたので座ることにした。十和田南までは運転士のような気分を味わえる。
 花輪線はのどかなローカル線で、タブレットでの列車交換、腕木式信号機など、昔の鉄道の趣が随所に見られる。しかし車窓には東北自動車道の橋脚なども見え、イヤでも近代化を迫られている雰囲気に見えなくもない。
 のどかで趣のある風景をのんびり眺めているうちに、湯瀬あたりから陸中花輪や十和田南ヘの乗客が増え、しばらくすると十和田南に着いた。列車はここから逆の方向に向かって進む。
 今度は後方に過ぎ去る車窓を身ながら、米代川に沿って下っていく。大館の手前の扇田や東大館で降りる人が少なくなく、一瞬ビックリするが、地図で確認すると扇田は比内町の中心、東大館大館市の中心なのだから当然なのかも知れない。結構本線の大駅は、SLの煙の外を恐れて中心街から離れたところに作った例も少なくない。
 11時29分、大館到着。


 大館では個人的な事情で鷹ノ巣まで往復した。戻ってくる時に「いなほ3号」に乗車したが、「いなほ3号」が大館に着いたあと、誰かが非常コックを弄ったらしく、ドアが閉まらなくなったようである。ドアを閉めてから発車した時には2分ほど定刻を過ぎていた。
 それにしても701系電車は不思議な電車である。まあ私みたいに京浜東北線などで乗り馴れている人には違和感は感じないとは思うが、それが東北のローカル列車に使われているというのには…
 大館からは矢立越えで弘前に向かう。さすがにキハ48では結構苦しいようで、40km/hを出すのが精一杯という風情。
 北海道では長袖とカーディガンが欲しいくらいに寒いのに、東北に入ったら途端に暑くなったようだ。16時06分、弘前到着。まだ終わりには早いのだが、五能線にはキリのいいところで取りかかりたいので早終いする。
 弘前のホテルは弘前公園の近く、とは書いていたのだが、どこにあるのが変わらずとにかく彷徨った。弘前駅を出てからホテルにチェックインするのに30分以上かかった計算になる。おそらく明日の朝はタクシーのお世話になることになるだろう。