スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

不定期連載、最長片道きっぷの旅'93 vol.12

 とりあえずあと3日…


10日目(7月24日(土))曇りのち晴れ
 弘前鰺ヶ沢→鱸作→能代東能代→秋田
36 弘前5:56→鰺ヶ沢7:12(824D/1<川部>3-3/キハ58 634)
37 鰺ヶ沢8:50→鱸作10:09(524D/1-1/キハ40 529)
38 鱸作12:25→能代13:51
  (「ノスタルジックビュートレイン」/1号車-3/オハフ50 2501)
39 能代14:59→東能代15:04(150D/1-1/キハ40 527)
40 東能代15:53→秋田17:09(1630/3-3/オハフ50 2192)
外 秋田18:02→土崎18:10(1147/1-4/オハフ50 2350)


 5時起床、5時20分チェックアウト。さすがに荷物を持って30分も歩きたくないので、タクシーで弘前駅に出た。
 弘前5時56分発の鰺ヶ沢行きに乗車する。これから辿る五能線は(当時は)運行区間ごとに列車番号を変えていて、800番台は深浦以北〜川部間の列車につけられている。824Dはそのうちの「2本目」の上り列車、ということになるのだが…
 東京の通勤電車ではあるまいし、と思うかも知れないが、とにかく異常に早いのである。秋田方面は824D列車が出る7分前にやっと始発列車が出たばかり、青森方面はまだ始発も出ていないのに、五能線は4時45分!の始発列車のあと、もう2本目、なのであった。
 川部からは進行方向が逆になる。青森からは都合のいい配線なのだが、ほとんどの列車が弘前に向かっている今の状況では、停車時間が無駄に使われているような気もする。藤崎から板柳までの間には沿線にリンゴの木がたわわに茂っていて、かなりの数のビニル袋がリンゴの実につけられていた。
 7時12分、鰺ヶ沢到着。前の年の9月に「ノスタルジックビュートレイン(以下NVT)3号」で訪れたところだが、食事休憩と言わんばかりに50分も列車を停車させていたのが思い出された。ここでは今回はさらに長い1時間38分もの長い休みになっているので、とりあえず前回も行ったコンビニで時間を潰すことにした。
 8時50分、鰺ヶ沢(1)を発車。キハ40にはワンマン設備がついているが、ワンマン運転はしていなかった。このあたりから読みの難しい駅を通る。風合瀬(2)、や驫木(3)といった駅はもちろんのこと、千畳敷(4)、追良瀬(5)あたりも読めない人もいるかも知れない。深浦で7分ほど停車したあと、列車はさらに南に向かい、10時09分、鱸作(6)に着いた。


 鱸作では子どもたちが迎えてくれた。よほど暇なんだろうな、という気がする。かと思うと、「不老ふ死温泉」ヘの道すがら、途中の一軒家の2階で小学生の女の子が真面目に勉強をしているのも見えた。
 「不老ふ死温泉」は外の河原(というべきか)にひょうたん型の露天風呂があって、温度は少しぬるめの感じ。逆に内湯は結構熱く、和倉温泉の熱いお湯もそれなりに入れた私ですら、2〜3分入るのはムリかな、と思ったくらいだった。
 ちなみに食塩泉で温度は43.5℃、泥水のような色合いで、海水がマグマの熱で熱せられて噴き出たものと考えたら早いかも知れない。
 食事をしてから駅に戻ろうとすると、いきなり急な上りになる。ただでさえ暑い中、熱い風呂に入って身体が暖まっているから、すぐ汗が出てバテてくる。ノースリーブのシャツ1枚にならないと熱くてどうしようもなかった。
 踏切のところで線路の上を通って駅に向かう。ある意味「スタンド・バイ・ミー」状態。列車がそれほど来ないローカル線だからこそできると言えなくもない。
 レールから「チュン、チュン」という音が聞こえてきて、陽炎の向こうから「NVT2号」がやってきた。
 この列車が折り返し「NVT3号」になるから機関車のすぐ後方に1号車があると思っていたら、普通の客車(3号車)が停車した。例の展望車は1号車。この編成の最後尾の車両だった。確かこの前の「NVT3号」も最後尾の車両だった記憶がしたのだが…
 「NVT」はやはり夕方、ちょうど日の入りの頃が一番いいなと感じる。トンネルに入った時や夜の時もレトロな感じがしていい感じなのだが、さすがに昼間は趣が削がれるようであった。でも鯵ヶ沢からの車窓はとにかく最高で、それこそ夕方太陽が日本海に落ちる時の景色は絶品なんだろうな、なんて思いました。
 この列車で東能代まで通して乗っても良かったのだが、どうせ2時間も動けないのは分かっているので、1駅前の能代で降りた。ここは能代市の中心街で、バスケットボールで有名な能代工業の地元ということもあって、ホームにバスケットボールのリングがある。能代から東能代まではワンマン運転の列車で移動した。
 東能代で再び「NVT」の車両に再会するが、いつの間にか展望車が最後尾に回っていた。


 15時50分頃の東能代駅は、3つのホーム全てに客車列車が停まっていた。
 1番線は私がこれから乗る秋田行き、2番線は弘前行き、そして3番線は展望車の後ろにキハ40をつなげた「NVT3号」と揃う。ちなみに「NVT」につなげられたキハ40は次の能代で切り離されて区間列車として戻ってくる。
 1分前に出た「NVT3号」を追って秋田行きも発車したが、さすがに五能線とすぐ別れるので「NVT3号」ノ姿はもう見えなかった。その後は八郎潟を右に見ながら淡々と南下し、羽後飯塚で「たざわ」に道を開けたあと、西陽を受けながら秋田に向かった。


 今日の宿泊地は秋田ではなく、1つ手前の土崎にあるホテルである。本当は秋田駅の近くにあるホテルを予約するつもりだったのだが、いろいろとあって結局予約しなかったのである。まあ事情も分からないではないのだが、だからといってそのホテルはサービス業としては対応がまずいなという感じはした。第一こちらはそれなりにかかる電話料を払って電話をしているわけだし、もう少し丁寧であって然るべきだと思ったものである。
 男鹿線の客車列車で土崎に出て、駅の案内版をじっと見つめてルートを確認する。
 私の場合、地図と住所さえ分かればそれなりに行けてしまうことが多いが、ポイントになるところさえ押さえていればそれほど難しいものではない。
 ホテルの客室にトイレとバスがなく、久しぶりに広い風呂にのんびりと浸かったものである。