スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

不定期連載、最長片道きっぷの旅'93 vol.45

 それでは「最長片道きっぷの旅」の最終回、いきたいと思います。
 今日は9月4日と5日の模様を書きたいと思いますが、何分にも「メモがない」状況ですので、いつものように断片的な状況になりますのでご了承下さい。
 なおせっかくなので9月3日の状況も。


第41日目(9月3日(金))豪雨
 水俣滞留(台風13号接近のため)


 wikipedia:平成5年台風第13号Wikipediaに飛びます。


 この記録にある通り、戦後(ただし戦後間もない枕崎台風を除く)の記録としては最大級の台風で、少なくても私が生きている中では日本を直撃した台風の中ではこれ以上すごい台風はなかったわけです。
 当然九州の南部を中心に直撃を受けることを想定したJR九州はこの日は全線で列車を運休させることを決定し、本当ならば大分県の日田まで足を運ぶ予定だったのが、結果として水俣で足留めとなります。
 仕方がないので日田のビジネスホテルにはキャンセルの電話をし、改めて今泊まっているホテルに延泊を申し入れました。日田のビジネスホテルの方では、台風で列車が動かないという状況の中なので仕方がないという感じでした。
 ホテルのガラス窓に激しく雨が叩き付けられ、突風によってホテルの建物自体も結構揺れていました。そして停電も起こり、もはや外には出られないような状況の1日を過ごしました。
 ただ明日はとりあえず復旧してもらいたいものである。ただでさえ1日日程が遅れているところに持ってきて、明日もダイヤの乱れは想定されるだろうし、明日朝に本数の少ない筑豊本線桂川〜原田間を通過するためには最低でも博多付近までは行っておきたいものである。


第42日目(9月4日(土))曇り時々晴れ
 水俣→久留米→夜明→田川後藤寺新飯塚→折尾→吉塚
221 水俣9:45→熊本11:24(2126M/1-3/クモハ475-31)
222 熊本11:56→久留米12:46(6M「つばめ6号」/1-7/クモハ783-9)
223 久留米12:59→夜明13:51(1855D/1-2/キハ28 2362)
224 夜明14:39→田川後藤寺15:48(964D/2-2/キハ66 2)
225 田川後藤寺16:08→新飯塚16:36(554D/1-2/キハ45 22)
226 新飯塚16:47→折尾17:37(1662D〜3662D/1-3/キハ58 5004)
227 折尾17:55→吉塚18:32(4975M/1-4/クハ810-6)
外 吉塚18:49→博多18:51(5646D/2-2/キハ67 10)


 台風は3日のうちに九州から四国・中国地方に移動し、とりあえず嵐は過ぎ去った。しかし倒木があったとのことで、運転再開は9時以降ということになった。水俣まで先行したのは正解だったようで、日豊本線久大本線豊肥本線がダウンし、鹿児島本線も鹿児島県内で数カ所崩壊があったようである。川内に泊まっていたらもしかしたら動けなかった可能性もある。
 水俣9時45分発の列車に乗るまでにお決まりの混乱があり、とにかく訳の分からないまま列車に乗ることにする。列車は当然混雑しており、なんとかその場にいるのが精いっぱい、という感じであった。
 11時24分、熊本到着。着いて降りることだけで精いっぱいで、電車の車番を控えるのを忘れる。
 熊本でも情報が錯綜しており、次の久留米に先にどの列車が着くのか分からない。とりあえず「つばめ6号」が間もなく熊本に着くということなので、久留米は特急停車駅だし、そのまま乗り込むことにする。本来なら特急列車などもってのほか、なのだろうが、既に明日肥前山口に着くことが至上命令になっているので*1、今さら各駅停車列車にこだわっている状況ではない。もちろんこの期におよんで30分ルールも無視することにする。明日肥前山口に着くために最低限朝のうちに筑豊本線桂川〜原田間を乗らなければならず、それを満たすには今日のうちに博多に入っていないと間に合わない、それが最優先になっている。30分ルールで1本落とした時に、久留米から先の日程がガタガタになりかねない。
「つばめ6号」は783系7両編成。中央にドアが1か所しかなく、しかもただでさえさっきの普通電車以上に混んでいるものだから、デッキに身体を詰め込んでいるので精いっぱい。窮屈な中を1時間弱過ごした。
 久留米からはとにかく次の列車に乗ることだけを考える。久大本線は台風で不通になっている区間があるらしいのだが、どうやらそれは大分寄りの区間らしい。夜明では日田彦山線との接続時間があったので、駅前を散策してみる。
 どうやら九州の北部には被害がほとんどなく、列車は定刻に走っているようであった。既に日田彦山線に入ったのが2時を過ぎているので、ここからはとにかく先に先にと進む。田川後藤寺20分、新飯塚11分、折尾18分と30分を切る滞在時間が続き、そして折尾からの列車は快速を使用した。そして吉塚に18時32分に着いた。
 私はここで一旦列車を降りて改札を出た。当初の計画では吉塚篠栗線に乗り換えることになっていたので、一応筋は通しておきたいと思ったのだ。今日はこのまま博多で泊まり、明日は博多から直接桂川に向かうことになるだろうが、計画では降りることになっていた吉塚を素通りするのは忍びなかったのだ。
 そして「最長片道きっぷ」に「吉塚駅 9.4 JR九州」のスタンプが入った。


第43日目(最終日、9月5日(日))晴れ
 吉塚桂川→原田→鳥栖肥前山口早岐諫早肥前山口
228 吉塚6:15→桂川6:59(2620D/1-3/キハ65 40)
                *博多6:11発
229 桂川7:38→原田8:07(2835/1-4/オハフ50 262)
230 原田8:25→鳥栖8:36(931M/1-4/クハ411-617)
231 鳥栖8:55→早岐10:47(2431M/3-4/モハ715-6)
232 早岐12:11→諫早13:18(843D/1-2/キハ65 62)
233 諫早13:24→肥前鹿島14:44(358M/4-4/クハ715-4)
234 肥前鹿島16:04→肥前山口16:22.22(366M/4-4/クハ715-8)


外 肥前山口17:48→肥前鹿島18:03(377M/1-4/クハ715-6)
外 肥前鹿島18:31→諫早19:08(「かもめ31号」/5-7/モハ484-258)
外 諫早19:35→早岐20:29(3968D/4-4/キハ65 53)
外 早岐20:31→京都(不明)(「あかつき」/5-5(9号車)→10-11(2号車)
               スハネフ15 10→オハネ15 351)


 最終日ということで、珍しく朝早起きしている。
 博多6時11分発は後藤寺線田川後藤寺行きである。この列車に筑豊本線の接続駅の桂川まで乗る。
 ちょっと寝たようだが、なんとか桂川で降りることができた。
 桂川でしばらく時間を潰した後、筑豊本線の原田行きで先に進む。この列車は客車列車で、レッドトレインの50系客車を赤色のDD51が牽引する、まさにJR九州らしい列車であった。
 原田からは普通電車で鳥栖に出て、やっと遅れを計画の2時間遅れまで取り戻す。
 計画では佐賀に降りて佐賀市内を見てから早岐に向かうことになっているが、遅れをできるだけ取り戻したいので佐賀を無視してそのまま早岐を目指す。途中で「最長片道きっぷ」の終着駅の肥前山口に着くが、面倒なのでそのまま列車の中でじっとしていた。そのまま佐世保線に入るが、列車行き違いや通過待ち合わせのために時間をよけいに食い、早岐到着は10時47分、遅れはまだ1時間40分も残っている。ちなみに早岐では予定では11時ちょうどに出ることになっていて、そのままその列車に乗ることもできたのだが、帰りの早岐乗り換えのことも見ておかなければいけないので、あえて早岐で休むことにする。
 早岐からは諫早行きの列車で諫早に向かう。高速運転をさせるためか、キハ58+キハ65のコンビである。
 ハウステンボスまでは電化されており、特急も走る。改行してまだ1年半というところで、日曜ということもあるのか、活気があるように感じた。*2大村湾を右に眺めながら南下し、長崎空港大村湾にポッカリと現れると大村。そしてさらに南の方に進んで13時18分に諫早に着いた。
 諫早では6分の接続で鳥栖行きに乗る。583系寝台電車の改造車である715系で、ボックスシートが異様に広い。もともと寝台として使うためにボックスシートが広いのだが、閑散としているのでボックスシートを占領してくつろげるのがありがたい。
 列車は右に有明海を見ながら進む。意外に山が迫っているところなので、トンネルも県境付近を中心に多い。
 ガタリンピックの会場の近くにある肥前七浦、祐徳稲荷神社の最寄り駅である肥前浜を過ぎると、鹿島市の中心駅である肥前鹿島に到着する。肥前山口から始まる肥前7駅のちょうど中間にある。
 肥前鹿島は終着駅の肥前山口に最も近い市街の駅であると同時に、国鉄時代に乗車したエリアの中での最南西端の駅でもあった。国鉄時代から変わらない風景を見て、何となく、戻ってきたという感慨を覚えた。
 そして様似から234本目の、「最長片道きっぷ」最終列車となる鳥栖行き715系電車に乗り込む。肥前鹿島からは干拓されたような感じのところを走る。特急を待ち合わせた後、「最長片道きっぷ」の終点の肥前山口に静かに到着した。引き戸がガタンと開いた時に時計を見ると、16時22分22秒を指していた。7月15日12時12分にキハ130で様似を静かに旅立った「最長片道きっぷ」は、52日と4時間10分で幕を閉じたことになる。
 そして改札口に行き、印を捺してもらう。本来は無効印なのだが、「収受または変更区間」の肥前山口駅のところに「肥前山口 9.5 JR九州」の印が捺された。ちょうどいい具合になったし、まあいいか、と納得して肥前山口駅の駅前広場に立った。


「最長片道きっぷの旅」が終わって、とりあえずやりたいことはやったかな、という感じがした。ただ何というか、ちょっとした空しさを感じたのも確かだったかもしれない。
 今度は新幹線を含めた最長片道切符の旅をしなければいけないかな。
 でもまた「最長片道きっぷの旅」をやる気は起きるんだろうか。
 いろんな思いに耽りながら、私は肥前山口を後にした。
「最長片道きっぷ」のルートを逆にたどり、まずは肥前鹿島に戻る。そこで「さくら」を見てから、諫早を回って早岐に、そして早岐から「あかつき」で帰宅の途についた。
 酒を飲みながら、こんなことはもう出来ないかもしれないな、そんな風に思いながらレールを見つめたものであった。


 ということで、最長片道きっぷの旅は終わりました。
 実は相当気が抜けていたのでしょう、「あかつき」が京都に着いた時刻も失念した上、京都以降の行程も全く書いていません。
 今思い起こしても、とにかく凄いことをしたんだな、という思いでいっぱいで、そういった凄いことをした後、自分はどれだけ自分に納得のできる旅ができるんだろう、なんてことを思っていたわけです。
 そして15年経った今、そのうち果たそうと思っていた「新幹線経路を含む最長片道きっぷの旅」は未だ果たせずにいます。
 とりあえずはJR・民鉄の完乗を済ませてから、時間に余裕が出来たらもう一度やろうか、とは思っておりますが。
 果たしていつのことになるやら。

*1:9月5日の上り「あかつき」の寝台を既に8月5日の段階で入手しているため

*2:ハウステンボスは一旦は経営破たんに追い込まれたが、現在はリニューアルオープンをしている