1993年にJリーグが発足して、今年で20年。いろいろとドラマを感じさせた今年のJ1も今日で終幕しました。
今年のJ1は稀に見る戦国リーグで、まさかと思えるようなドラマもたくさんありました。それを各チームごとに総括してみたいと思います。
優勝 サンフレッチェ広島(19勝7分け8敗、勝ち点64、得点63(2位)、失点34(2位)、得失点差+29)
サンフレッチェは昨年まで指揮を執っていたミハイロ・ペトロヴィッチ監督が退任し、森保一監督が就任してのリーグ戦突入であった。戦略的にどうなるか岐路に立たされたシーズンともいえたが、名監督が退任した後のシーズンとしてありえないほどのシーズンと化したガンバ大阪と違い、ペトロヴィッチ監督の路線をベースとして残した森保サンフレッチェは序盤から安定した力を発揮した。
それが得点王佐藤寿人を擁しリーグ2位の63得点を挙げた強力な攻撃力を擁しながらもリーグ2位の34失点に抑えた強固な守備陣にも象徴されているように思う。
惜しむらくは清水エスパルスに2敗、横浜F・マリノスに1分け1敗と全チームに勝ちきれなかったところか。
2位 ベガルタ仙台(15勝12分け7敗、勝ち点57、得点59(3位)、失点43(7位)、得失点差+16)
ベガルタは序盤でトップに立ってしばらくはJ1を牽引していたが、サンフレッチェとのバトル状態が長く続く。
トップに立てるチャンスも数多くあったが、何度かそのチャンスを取り損ね、最終的には残留争いを演じるアルビレックス新潟に負けて優勝を逃す。
ただそれまでの戦いは秀逸で、J1昇格3年目とは思えないほど、また昨年東日本大震災の渦中で大混乱したチームとは思えないほどに、逞しく成長した姿が感じられた。J2から指揮を執っている手倉森監督の手腕の凄さも光っているように感じる。
ただ清水エスパルスに2敗したことに加え、直接対決のサンフレッチェ広島に1分け1敗。そしてダントツ最下位コンサドーレ札幌にも負けを喫し、ラスト2戦はアルビレックス新潟に負けて優勝を逃したショックからか、最終戦のFC東京戦に2-6とありえないほどの大惨敗を喫したのが気になるところである。
3位 浦和レッダイヤモンズ(15勝10分け9敗、勝ち点55、得点47(9位)、失点42(6位)、得失点差+5)
このチームほどいい意味で裏切ったチームはないか。ゼリコ・ペトロヴィッチ監督を擁して降格圏を彷徨った昨シーズンが終わった時、まさかこのチームが翌年ACL出場を果たすとはつゆにも思わなかった。今年は昨年広島を指揮していたミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任し、サンフレッチェ広島風の組織的なチームを組織したことが好成績につながったように思う。近年の浦和レッズ恒例の反乱もなく、チームが一丸になってまとまったこともチームの成績向上につながったように思う。
なお2敗のチームはないが、1分け1敗が川崎フロンターレと大宮アルディージャ。さいたま市のライバルチームである大宮アルディージャにはJリーグでは2年間勝っていない。また、9月1日のさいたまダービーで1人少ない大宮アルディージャに引き分けに持ち込まれ、9月22日には降格圏にいたガンバ大阪に惨敗、10月6日には降格が決定したコンサドーレ札幌に負け、10月27日のセレッソ大阪戦ではスコアレスドローと、埼スタの9〜10月の惨状には目を覆うばかりであった。
5位 サガン鳥栖(15勝8分け11敗、勝ち点53、得点48(8位)、失点39(4位)、得失点差+9)
前評判ではサガン鳥栖は降格圏を彷徨い、1年でJ2降格と言われていた。しかしその前評判を覆しての健闘、これがJ1を盛り上げた大きな要素の一つであったと思われる。
このチームはとにかく組織だった守備に定評があるのだが、今年はそれに加え、得点ランク2位の豊田陽平の攻撃力が光ったシーズンであった。しぶとく食いついて最終節を前に浦和レッズを撃破して3位に上がったところなど、J1初シーズンとは思えないほどの強さも感じさせた。
2敗が名古屋グランパス、1分け1敗が大宮アルディージャ、清水エスパルス、セレッソ大阪。混乱があったとはいえガンバ大阪に2勝、浦和レッズにも0-4から3点あげて接戦にもつれ込ませるなど、非常にいい意味で予想を裏切った好チームであった。
11位 鹿島アントラーズ(12勝10分け12敗、勝ち点46、得点50(7位)、失点43(7位)、得失点差+7)
最終的には何とか中位で収まったが、序盤のあまりの酷さは悪い意味で裏切ったチームの1つに数えてもいいくらいの惨状である。何しろ開幕5節で1分け4敗とか、優勝を争うチームとしてはあまりにも酷い結果にはあきれるばかりであった。
その後何とか立ち直って中位に位置するが、終盤にまた失速してまさかの降格バトルに巻き込まれるなど、一応最後には帳尻を合わせたものの、ある意味最後までgdgdなチームであったのは間違いない。
13位 大宮アルディージャ(11勝11分け12敗、勝ち点44、得点38(16位)、失点45(10位)、得失点差-7)
まずはこの数字から。
17位 大宮アルディージャ(6勝5分け12敗、勝ち点23、得点21(16位)、失点41(16位)、得失点差-20)
これが8月25日の第23節の時点での成績である。
常識的に言えば、これでJ2降格してもおかしくはない。
ところが9月1日の第24節のさいたまダービー、先制を許し、直後にノヴァコヴィッチが退場して1人少なくなったにもかかわらず、前半終了間際の気の緩んだ瞬間を狙い澄まして同点に追いついて勝ち点1を得て以降、次の第25節のサガン鳥栖戦で勝ちを得て、直接対決で引き分けたガンバ大阪とアルビレックス新潟を置き去りにして降格圏から足を洗うと、5勝6分けと浦和レッズ戦以降の11戦を無敗(しかも11戦7完封)という驚異的な成績で一度も降格圏に足を突っ込むことなく残留をものにしてしまったのである。
例年アルディージャの残留戦線での異様なまでの強さには定評があるのだが、今年の9月以降の強さはまさに神がかった強さであった。9月以降の勝ち点21、4失点、得失点差+13はすべて1位の記録*1で、例年以上に降格ラインを上げていった遠因ともなった。まさに残留マイスターとしての面目躍如といったところであった。
15位 アルビレックス新潟(10勝10分け14敗、勝ち点40、得点38(16位)、失点45(10位)、得失点差-7)
まずはこの数字から。
16位 アルビレックス新潟(6勝6分け11敗、勝ち点24、得点16(19位)、失点27(6位)、得失点差-11)
これが8月25日の第23節の時点での成績である。
何とビックリすることに、この時点でコンサドーレ札幌より得点をしていないのである。失点こそ上位に位置しているが、やはり降格してもおかしくない状況であった。
ところが第25節にガンバ大阪と引き分けて大宮アルディージャに上に立たれて17位に陥落して以降、アルディージャの異様なまでの強さに引きずられるかのように残留戦線を引っ掻き回す存在となる。アルディージャの驚異的な強さに隠されてしまったが、11戦7失点はアルディージャに続いて2位の成績である。そしてアルディージャが残留を確定させようかという第33節で、アルビレックスは勝たなければ降格決定という絶体絶命の大ピンチで迎えた2位ベガルタ仙台戦に勝ち、17位で勝たなければ降格という絶体絶命の大ピンチは変わらないまでも、最終戦でダントツ最下位のコンサドーレ札幌戦という形でガンバ大阪とヴィッセル神戸にプレッシャーをかけ、そして実際に残留を成功させてしまう。
失点1位を伺うかのような守備力のチームが残留争いの主役に躍り出るなど普通にはあり得ないのだが、アルビレックスはその守備力を残留の糧にできたのが大きかった。
17位 ガンバ大阪(9勝11分け14敗、勝ち点38、得点67(1位)、失点65(17位)、得失点差+2)
まずはこの数字から。
3位 ガンバ大阪(21勝7分け6敗、勝ち点70、得点78(1位)、失点51(12位)、得失点差+27)
これが昨年の成績である。ちなみに3位とはいえ、優勝した柏レイソルから勝ち点2離れているだけ、4位のベガルタ仙台とは勝ち点14も離れているのだ。
常識的に言えば、これでまさか次の年にJ2降格するなんて夢には思わないだろう。
ところがそのまさかが現実のものになっていく。最初の躓きは10年間指揮を執った西野監督が退任し、セホーン監督が就任したが、まさかの大失速で鹿島アントラーズと共に5戦未勝利という信じられないようなスタートを切ってしまう。第6節で川崎フロンターレ、清水エスパルスに連勝するものの、鹿島アントラーズに大惨敗し、途中大宮戦後のベガルタ仙台、横浜F・マリノスとの連続引き分けを挟んで大宮アルディージャ、サガン鳥栖、浦和レッズと連敗し、まさに泥沼から上がりきれない状況が続く。
8月に一時的に大宮アルディージャに3-1、セレッソ大阪に2-2、名古屋グランパスに5-0、コンサドーレ札幌に7-2と3勝1分けの無敗、17得点を荒稼ぎして残留圏から足を洗うものの、9月に入るとサガン鳥栖に1-4で負け、アルビレックス新潟に1-1の引き分けと足踏みをしている間に一時的に降格圏に足を踏み入れていた大宮アルディージャに上に立たれると、それ以降は残留マイスター・大宮アルディージャに翻弄されるがままに降格圏から上に上がることができなくなり、そして最終戦、前節に大宮アルディージャの残留を手助けしたジュビロ磐田に1-2で負けて万事休した。
このチームは決して昨年の輝きを失っていたわけではなかった。今年も67得点を挙げて最多得点チームになるなど、攻撃力についてはJリーグ随一のものであるのは間違いない。だけどあまりにも失点が多すぎる上に接戦で弱い(2得点以下での勝利が1戦もない)という悪癖を結局改善することができなかったのがすべてであろう。そしてその発端は西野監督の退任であったのではないかと思われる。
いずれにしてもJ屈指の攻撃力を誇ったチームが、最多得点を挙げ、得失点差でもプラスになったにもかかわらず、J2降格の憂き目にあうというあまりにも異例ずくめの降格劇こそが、今年のJ1を象徴していたのかもしれない。