スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

AKB49総括5〜AKB49の話に流れていたテーマは2〜

本当は誕生日の後に続ける予定でしたが、まぁ字数が多すぎて携帯では入らないことが判明したので、別に立てました。
 引き継ぎ作者が浦山実や「浦川みのり」、そして吉永寛子から何を語りたかったかを書きます。


2 感謝の気持ちの大切さ
これについては、最後の話から話を展開しよう。


浦川みのりの卒業生誕祭の4ヶ月後のパリ公演の楽屋。
12期生が奥平先生の凄さを改めて感じている中、吉永寛子は「『浦川みのり』はファンの中にもいたんだよ」と語り、高橋みなみにある提案をしたと言う。呆れる同期生に対し、寛子はたかみなさんは笑いながら許可してくれたと言う。
そして公演のステージに『浦川みのり』が立つ。最初は目が点になる観客も、それが寛子の変装だと分かると、寛子コールをし始める。
寛子は「AKB48、『浦川みのり』です」と「自己紹介」するが、ネタバレしているので寛子コールが鳴り響く。
しかしそんな中で「みのり」コールが聞こえてくると、寛子は満足そうに微笑みながら、「なんちゃって」とカツラを脱ぐ。


やっていることはネタになっているが、寛子は『浦川みのり』に化けた浦山実に「育てられて」今の第4代センターに立たせて貰えたのを理解しているから、『みのり』に、そして実に感謝する気持ちを忘れないようにするために、時々『みのり』の変装をしようと考えたのだ。


その『浦川みのり』も、感謝の気持ちを忘れない素晴らしいセンターであった。
自分が輝いているのは誰かが自分を輝かせているからだと自覚し、仲間やスタッフ、ファンへの感謝の気持ちを忘れない姿勢を最後まて貫いたのだ。それは気遣いだけでなく、ステージにおいて観客を楽しませる事も含まれるであろう。
言葉は荒いし、厳しい姿勢を取ることもある。でもそれは全て、感謝の気持ちを持って欲しいからであろうと思います。
それを感じたのが岡部愛であり、&JewelのMayaこと鈴木のぶ子であるし、その姿勢が奥平先生や有栖莉空を惹き付けたと言っても過言ではないだろう。


それはAKB48でも総監督になった高橋みなみに匹敵するだけのスキルであるし、だからこそその高橋みなみに「人間・浦川のりを尊敬する」とまで言わしめた存在になったのだ。


そもそもは寛子を応援するためだけに存在した『浦川みのり』は、自分がAKB48にいる中で、感謝の気持ちの大切さに気づいて行動できたからこそ、みんながみのりについてきたし、いざみのりが男だとバレても、実がみのりになった理由が分かると、『浦川みのり』としてきちんと卒業生誕祭をやらせてあげようと公演の直前に皆で『みのり』を探し、実がカツラを脱いで謝っても、あくまでも『みのり』として接し、それでこれ以上ファンを裏切れないと男バレの映像を流しても、奥平先生が最終的に揉み消してくれ、結果的に実は何事もなく普通に生活出来るようになったわけである。
これが実が4年間かけて作り上げた信用であり、同時に『みのり』がそれだけ感謝の気持ちを忘れずに頑張ってきたからこそ、みんなが信用してくれた証でもあると思います。
少なくとも、例えとして岡部愛や鈴木のぶ子が同じことをしても、そこまで守ってくれることはないだろうと思います。


そして、そんな『浦川みのり』を間近で見てきたからこそ、吉永寛子も大きく成長出来たのだろうと思うのです。
最初は前田敦子との事で反目していたが、みのりが前田が本当に嫌いでないことが分かると、仲良くなって一緒にいるようになります。
そしてみのりや寛子に難題が吹っ掛けられて来て、みのりが真っ先に応じると、それに続いて寛子が生き残るためならやるしかない、と続き、岡部愛が勝手な演出で舞台を壊した時も、みのりがステージに立った後、2番目に出たのはやはり寛子だった。
寛子は最初はみのりに続くだけであったが、みのりをライバル視した全兼任の時には、みのりに負けてられないとばかりに松井珠理奈の代わりのセンターを志願したり、生放送中に大島優子に宣戦布告したり、HKTの時にはみのりが出来ないシュシュ作りで若いメンバーをフォローしたり…
そうやってみのりと戦っていく中で、みのりの感謝の気持ちを吸収していったのかも知れませんね。


AKB48にはチームごとにステージに立つ前の掛け声があります。
その極端な例が、以前「初日」で書いた歌が始まる前のステージ上でのコールですが、もともとチームAにいた浦野一美さんが思いやりの少ないB向けに「みんなの願いが叶いますように」と付け加えた以外は基本的にAと同じコールを使っています。
その冒頭にあるのが「いつも感謝」なのです。
それを実践した第3代センター『浦川みのり』が皆から信用されたのも当然だし、みのりに最も近い存在だった吉永寛子が第4代センターに立っても、『みのり』の想いを引き継いでいる以上、当面は安泰だろうな、と感じたわけです。