スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

不定期連載、最長片道きっぷの旅'93 vol.38

 とうとう最長片道きっぷの旅もあと10日で終わりになります。
 結構長かったな、と思いながらも、気がつくとちょっと寂しさも募ってきた頃でした。
 でもそれ以前に、「8.6豪雨」の余波が未だに続いている中、結末はどうなっていくのだろうか。


第33日目(8月26日(木))晴れ
 福知山→鳥取東津山→姫路
178 福知山5:30→豊岡6:36(831D/4-7/キハ58 7203)
179 豊岡7:36→鳥取9:52(167D/1-2/キハ47 1112)
180 鳥取11:30→智頭12:19(661D/1-2/キハ47 1108)
181 智頭12:51→東津山14:00(687D/1-1/キハ23 501)
182 東津山15:01→上月15:46(2828D/1-1/キハ47 2008)
183 上月17:16→姫路18:43(834D/1-2/キハ47 141)


 今日も「出雲3号」は遅れている。といっても極端にダイヤに影響を与えるものではなさそう。
 だけど、結局私の乗った列車は福知山を2分遅れて発車した。
 最初は複線を走っているのか、と思ったが、右側に見えているレールは北近畿タンゴ鉄道のもので、由良川に沿って大江山の麓の大江町へ、そしてひと山こえて天橋立のある宮津まで結ぶ「第3セクター鉄道」である。園部〜福知山間の電化とともにこの路線の電化も決まり、地元としては嬉しい限りであろう。*1
 列車はその、百人一首でも読まれた大江山を右に見ながら峠を登っていく。
 上夜久野を出ると、トンネルを抜けて兵庫県に出る。今日は鳥取、岡山と回ってまた兵庫に戻るのだから、頭がおかしくなりそうである。和田山からは円山川の谷に沿って進むが、忠実に川に沿って線路が敷かれているせいか、すぐ先の路盤が確認できるくらいカーブがきつい。山越えの時激しかった霧が晴れると、県北の都市、豊岡である。ちなみに今日最初の列車は急行の間合いであったが、7両編成の後ろ3両が回送扱い、そして最も注目していたグリーン車は減光されていた。


 豊岡7時36分発の鳥取行きは早速のワンマンカーである。山陰本線経由の「普通」京都行きという不思議な列車が7時40分発となっている。5時40分に福知山を出る普通列車しか京都行きのディーゼル普通列車がないはず、と思っていたから時刻表で見ると、福知山から急行「丹波4号」になることが分かって納得。おそらくさっき乗ってきた編成がそのまま京都に戻ることになるのだろうか。ちなみに京都行きは北近畿タンゴ鉄道宮津線経由の京都行きもあって厄介なことこの上ない。
 豊岡を出ると再び霧に包まれる。この辺りの円山川は川幅が広く、何か異境の地にいるような気がした。城崎*2を出ると今度は但馬の海沿いを走る。険しい地形なのでトンネルも多いが、トンネルを抜け出た時に右窓に見える日本海も捨てたものじゃない。柴山だったか、女子高生がかなり乗ってきた。彼女たちはドアのところでそれぞれおしゃべりに興じている。次の香住でその女子高生をはじめ、かなりの人が降りた。
 餘部の手前に有名な餘部鉄橋がある。下を覗き込むと確かに恐ろしい感じがするし、ここで突風でも吹いて橋から落ちたらひとたまりもないと思う。「みやび」の事故の後フェンスを補強したらしいのだが、それでも不安感は拭えない。8時45分、浜坂到着。
 9時ちょうどにドアを閉め、浜坂を発車、と思いきや、誰かが列車に乗るらしく、一旦閉まったドアが再び開いた。ところがなぜか誰も乗らないので運転士がまたドアを閉めたところでホームに客が現れたので、またドアを開けなくてはならなくなった。*3
 居組の先のトンネルを抜けると鳥取県で、東浜からは客の乗りが良くなってくる。福部を出ると峠を一つ越える。峠を越えた先にスイッチバック式の滝山信号所があるが、行き違う列車もないのでそのまま通過する。そしてコンクリートアーチに囲まれて上へ上へとせり上がり、左から因美線の効果が近付いてきてドッキングすると鳥取。なんだかシナリオが同じようなドラマを毎日見せられているような印象さえ受ける。


 鳥取11時30分発の因美線智頭行きは4番線からの発車。タブレットの関係だからだろうか、因美線列車の発着ホームは4番線と決まっているようである。
 鳥取を出ると山陰本線を左に分ち、中国山地に踏み入っていく。途中の郡家からは若桜鉄道が分岐する。この若桜鉄道は郡家から鳥取まで直通運転をしていて、それでなのだろうか利用客が多いようである。その対局の姿を三木鉄道北条鉄道で昨日身につまされたばかりなのだが、第3セクターのあり方を考えさせられる話である。
 さらに坂を登り、この列車の終着駅である智頭に着いた。上り列車では1本だけ津山から鳥取に向かう列車があるが、下り鳥取発の列車は全て智頭止まりなので、嫌でも降りなければならない。


 ここで私は重大な決断を迫られることになった。智頭の町はそれなりの規模の町なのだが、さすがに2時間も逗留したいとは思わない。計画では14時03分に津山行きがあり、ここで昼食を取ることになるのは決まっているのだが、暑いしとても町並みを散策している気分にはなれない。
 かといって列車が全くないわけではなく、12時50分に津山行きの列車がある。これに乗って先行して、という案も考えていた、ところがここで「30分ルール」が大きく立ちはだかることになったのだ。実は計画どおりだと、鳥取からの智頭行きが智頭に到着するのは12時21分。智頭発車が12時50分なので、わずか1分の差でルールに引っかかってしまい、利用できないという状況になっていたのだ。もちろん、ルール無視は何度もやっているが、それはあくまでもやむにやまれぬ事情でやっているのであって、計画から横紙破りは駄目、ということにしていたのだ。
 ところが…
 661Dが智頭に着いたとき、時計はまだ12時19分を指していたのである。どうやら客の乗り降りが少なかったからか、2分ほど早着してしまったようである。
 この瞬間、私は決断しました。
 30分ルールが結果的に成立したのだから、そのまま12時50分発の津山行きで先を急ごう、と。
 もっとも先を急いだところで姫新線の接続が悪いので結局姫路に着く時刻は同じなのだが、炎天下の智頭と夕暮れ時の上月のどちらがいいか、と天秤にかけた結果でもある。
 智頭は上郡〜佐用〜智頭を結ぶ建設中の第3セクター鉄道*4の終点である。完成すれば大阪〜鳥取間に新線経由の特急が運転される予定で、そうなると時間短縮によってバスに流れた客をある程度戻せるだろう、といわれている。残念ながら地図では新線の建設現場を見ることができなかったが、早く開通してもらいたいものである。*5


 智頭12時50分発の津山行きは初のキハ23。冷房はついていない。今でこそキハ40系に圧倒されているが、西日本を中心にかなり配備されていた形式である。疲れからかうとうとしているうちに那岐に着き、上り急行の通過待ち合わせのために6分停車するという。ということは…
 因美線タブレット通票を使用していて、先ほどまで687Dが運んできたタブレットが、ホームから少し鳥取寄りに設置されているタブレット授器に据え付けられる。そして駅員は今度は普段は倒れているタブレット受器を起こして、急行の通過を待つ。
 暫くすると急行がゆっくりと入ってきた。運転助手がここまで持ってきたタブレットタブレット受器に投げ入れ、そして次に運転室横にあるタブレットキャッチャーを起こしてタブレット授器にセットしたタブレットをキャッチしていった、らしいのだが、ちょうどホームが列車の向こう側にあるので、その模様を直接見ることはできなかった。おそらくタブレットキャッチャーに捕えられたタブレットが車体に当たったらしき「カタン」という音がしたのと、通過後のタブレット授器岳が上に向かって突き出しているのが見えたことでタブレットが確実に急行に渡ったことが分かったことぐらいである。
 そしてタブレット受器に絡めとられたタブレットを駅員が687Dの運転士に渡して、こっちの発車準備が完了する。
 那岐を出ると列車は物見峠を越えはじめる。25‰の急勾配なのだが、ダブルエンジンの列車でも苦しい勾配なだけに、シングルエンジンのキハ23は息も絶え絶えに、20〜30km/hのスピードで走るのが精いっぱいである。物見トンネルを通過して岡山県に入り、加茂川の谷を下ると東津山に到着する。14時ちょうどであった。
 東津山津山市の外れの駅で、たまたま姫新線因美線の接続駅になっただけだと思っていたから、それなりに市街としての体制が整っていて、しかもマクドナルドがあったのには驚いた。まだ昼食も取っていなかったので、このマクドナルドで昼食休憩として、しばし外の暑さを凌ぐことにした。


 東津山15時01分発の上月行きはほとんど中国自動車道に沿ってのルートとなる。車内は席がほとんど塞がっている状態であるが、市街から離れていく列車なので降りる人が多い。私も勝間田の辺りでロングシートではあるが席にありつくことができた。
 地元の人は美作土居で全て降りてしまい、ここからは峠を越えて兵庫県にまた戻る。小さな川の渓流を身ているうち、学校の体育館が見えてくると、この列車の終点・上月である。ほとんどの人はこの上月で姫路行きの列車に乗り換えた。旅をしたものの、いかにも要領の分かっていない感じの女子高生の4人組にハラハラさせられながら、私は姫路行きの列車を見送った。


 上月ではとにかく時間があり過ぎるほどある。先行したはいいが、上月からは結局同じ列車になってしまうのだから、意味はなさそうだが、前にも書いた通り、容赦なく真上から太陽が照りつける時間帯の智頭に2時間逗留するのと、太陽が西に傾いた時間帯での上月で2時間逗留するのとどちらがいいかといわれたら、普通の人なら上月を選ぶと思う。そもそも私は暑いのは好きではない。
 駅の案内板に「久崎温泉郷 2km」とあるので、最初はそっちに行こうと思ったのだが、まだ暑い中を2kmも歩く気分になれず、途中で引き返して河原で休むことにした。スボンを捲し上げて(で結局その格好で姫路の宿までいきました)裸足になって川に入ると、魚の群れや黒い羽根でエメラルドグリーンの胴体のきれいなトンボが楽しそうに動き回っていた。
 暫くして河原で遊んでいた女の子が戻ってきたので、話を聞く。彼女は魚採りかたがた石やガラスを集めていたそうである。確かに子どもの遊ぶ川にガラスなど危なっかしいこと極まりない。彼女は川で遊んでいる方が面白く、都会は汚い、とも言った。確かにこの辺りは自然がいっぱいで、川も大部分が護岸工事をしているのだが、駅から上流側には古い木がたくさんあるので工事をしないのだそうである。彼女の母親が来たのでそれじゃ、と彼女を解放したのだけど、その後母親に「この辺りはきれいですね」と声をかけたのだけど返事がなかった。
 個人的に彼女と話をしたかっただけで、別に彼女をどうこうする意図はなかったのだが、住みにくい世の中になったものだ、とも思う。*6 ちなみに彼女は小学4年生で*7直江津までの車中で知り合った子もそうなのだけど、このくらいの年齢の女の子は自然な感じで接しやすい気がした。人にもよるのだろうか。*8


 17時12分、津山からの834D列車が到着した。前の車両には冷房がつき、後ろの車両は冷房がない。どちらも客は少ないから、冷房車のボックスを占領する。
 17時16分、上月を発車。しばらく山間の小径を進むうち、右手の方から突如という感じでコンクリートアーチが現れ、姫新線のレールを跨いで左側に移ると、スルスルと路盤が下がってくる。智頭線*9の建設現場で、今見たのは上郡から来たものである。ご丁寧にレールまで敷かれているが、駅付近には路盤がないようだ。佐用を出ると、今度は智頭への路盤がすっと左の方に離れていった。
 峠を次々と越え、揖保川の谷に入る。夕方の帰宅時間帯に入ったのですれ違う列車は少なくないが、その中でキハ58系の「スーパーロングシート」改造車もいくらか入っている。「スーパーロングシート」は磐越西線のキハ40でも見かけたのだが、キハ58のスーパーロングシート化、というのも侘びしさを感じる。太市を過ぎた辺りで抜き打ちで検札が行われた。ワンマン列車で検札が行われたのは初めてで驚いた。太市で乗ってきた車掌は私のきっぷを見て何も言わずに検札印を入れた。右下に花柄の検察印と、直径2mmくらいの小さい穴があいた。
 陽が沈み、空が暗くなりはじめた頃、新幹線のアーチをくぐり、遊園地の近くをかすめて山陽本線と合流し、貨物と競争になる。新幹線がもう一度上を越し、使われなくなったモノレールのレールが左に見える中、これが都会だと言わんばかりの顔をした姫路に着いた。

*1:1996年、宮福線および宮津線宮津天橋立間が電化。ただし北近畿タンゴ鉄道は電車の保有がなく、電車はJR西日本からの乗り入れだけである

*2:現在の城崎温泉

*3:この話とは全く関係ないのですが、蘇我駅で列車に乗ろうとした人がドアを閉められ、頭にきてドアを蹴ったりしたところ、それが業務妨害ととられて警察沙汰になったのを見たことがあります。みなさんも余裕を持って駅に来て下さいね。駆け込み乗車は危ないですよ

*4:智頭急行。もちろん現在は開業して「スーパーはくと」が関西圏と鳥取を、「スーパーいなば」が岡山と鳥取を結んでいる

*5:1994年に開業

*6:その後さらに核家族化が進んだことが原因だろうか、声をかけただけで不審者扱いされる世の中になったのは承知の通り

*7:ということは今は24〜25歳というところでしょうね

*8:だからといって誘拐など目論んじゃダメですよ

*9:智頭急行