8月2日からは首都圏の煩雑なところを通っていきます。
そのため記述が雑になっている感じもあるかも知れません。それはもう過去の話ですし、勘弁下さいませ(ぇ
さて、女子高校生と同宿の西那須野の宿、夜這いこそしていませんでしたが(コラ)夜更かしをしていました。さて、その後どうなっていったのでしょうか?
17日目(8月2日(日))曇り
宇都宮→小山→友部→新松戸→南浦和→赤羽→武蔵浦和→西国分寺→新宿
68 宇都宮6:58→小山7:30(554M/1-4→8→15/クハ115-170)
*西那須野6:06発
69 小山8:16→友部9:14(735M/2-4/モハ415-520)
70 友部9:44→我孫子10:59(1362M/5-7/モハ414-710)
71 我孫子11:42→新松戸11:55(1106K/1-10/クハ202-8)
72 新松戸13:04→南浦和13:30(1208E/8-8/クハ103-767)
73 南浦和13:50→赤羽14:01(1321B/10-10/クハ103-459)
74 赤羽14:40→武蔵浦和14:53(1431K/9-10/モハ205-258)
75 武蔵浦和15:21→西国分寺15:46(1416E/8-8/クハ103-815)
76 西国分寺16:39→三鷹16:55(1631H/10-10/クハ200-31)
77 三鷹17:28→新宿17:49(1731B/10-10/クハ200-145)
起きたのは5時半。3時間半はそれでも眠った。しかし…
起きて目覚まし時計を見た私の顔は、見る間に蒼くなっていた。
見間違いではない。4時半でなく5時半である。
最初は西那須野4時45分発の急行「八甲田」で宇都宮に出て、すぐの接続の5時26分発の電車でスタートの予定であった。もちろん今からでは「八甲田」には乗れるはずがない。
前日宇都宮で宿が取れないので西那須野に転身した話はしたが、最初はとにかく寝るだけの予定であった。ところが思いのほかルポ作成に時間がかかっていたので、とにかく出来るだけ遅れを取り戻そうと頑張って、ついでにバイクとF1の中継を見てしまったのがいけなかった。
とりあえず荷物をまとめて駅に向かったが、改札を抜ける直前で目覚まし時計を忘れたことに気づき、また宿に引き返す。目覚まし時計をポシャットに入れ、駅のホームにやっと着いて間もなく、上野行きの電車がホームに入ってきた。
西那須野から乗った列車は4両編成であった。しかしこの列車が気がつくと15両で上野に着くのだから、壮大な話である。もちろんまだ乗客はそれほど多くはない。
旅の再開となる宇都宮で、後ろに4両編成を連結し8両編成になる。さすがに宇都宮からは通勤通学圏になるので4両では少なすぎる。かといって15両では多すぎるようだ。
「最長片道きっぷの旅」を再開し、東北新幹線を見ながら東京に向かう。少しずつ客も乗り込んできているようだった。小山電車区を通過すると小金井に着き、ここでさらに後ろに7両編成を増結し、堂々15両編成となる。私は次の小山で降りた。
小山でしばらく駅前散策をしてから戻ってくると、降りた時にもあった「あじがうら」号がまだ残っていた。「あじがうら」を見送ったあと、415系ロングシート車の電車に乗り込んだ。ローカル線だと何だか違和感を覚えるのだが、さすがに秋田地区に投入した701系を考えるとまだマシかな、なんて思うものである。ただ水戸線は常磐線との共通運用もあるので、その絡みもあるのかも知れない。ただ個人的には水戸線や常磐線の水戸以北にはクロスシート車を集中配備して欲しいとは思う。
ちょうど通勤通学時間帯ということもあり、グリーンのセーラー服が車内に目立つ。下館の高校生のようだ。下館は第三セクターの真岡鉄道と関東鉄道の接続駅である。
友部では最低待ち合わせの30分の滞在のあと、上野行きに乗車。このあと新松戸から武蔵野線に乗り込む予定なのだが、常磐線の中距離電車は新松戸に停まらない。停まらないのは当然で、ホームがないのだから停められないのである。このような構造は武蔵野線の場合は多く、西船橋、南浦和もホームがないから中距離電車は停まらない。あとはそもそも複線しかない中央本線の西国分寺と、あとから出来た埼京線の武蔵浦和が全列車停められる構造にはなっている。
常磐線に入って検札が行われる。水戸では結構しっかりと検札を行っているようである。
藤代を過ぎたあと、一瞬ほとんどの電気が消えた。デッドセクションと呼ばれる部分で、交流電流から直流電流に変えるところである。20秒ほどかかり、意外に長いなと感じた。取手から各駅停車電車は発車しているのだが、昼間はそれほど需要がないので、わざわざ取手まで運行する列車はない。そのため私も我孫子まで乗り通した。
我孫子で食事をとったあと、各駅停車電車で新松戸に向かう。203系電車と呼ばれる、常磐線各駅停車電車専用の車両である。13分で新松戸に到着する。
新松戸からは非常にこまごまとしたルートを通ることになる。それこそ何が楽しくてこんなことをしなければならないのか、そう悲観しかねないエリアである。しかも全車両の車番は控えているので(ここに表しているのは私が乗った車両だけ)それも非常に大変になる。特に103系電車は車両番号がまちまちなので、何とかしなければいけない。
武蔵野線は予想通り103系。仕方がないので最後尾に陣取って、ホームに入ってきた車両を片っ端から記録する手法を取ることにした。
江戸川を越えて埼玉県に入る。何となく「帰ってきた」という雰囲気になった。
新三郷は貨物操車場があった頃に操車場の両脇に作られた関係で、下りホームと上りホームが大きく離れているが、操車場が廃止になり、更地になった今でもこの駅のホームが離れたままになっているのが不思議でならない。南越谷では東武伊勢崎線と立体交差になっているのだが、伊勢崎線は立体工事の最中で、今は武蔵野線の下をくぐっている伊勢崎線が、そのうち武蔵野線の上を越すことになるだろう。
東川口、東浦和と進み、南浦和到着。本来ならば「最長片道きっぷ」の経路はここから京浜東北線で赤羽に出ることになるのだが、あえてそのまま乗り進んで武蔵浦和に出る。
武蔵浦和は埼京線開業の際に開業した駅で、大宮に向かう連絡線へのポイントがある関係で、埼京線の真下ではなく南浦和寄りにホームが作られている。そのために連絡通路が前方にあるため、最後尾に乗っていた私は南浦和を出るととにかく前に向かって突進していった。
武蔵浦和駅に着くと、埼京線や改札のある連絡通路を通る。その最中にコインロッカーがあるのでそこに7月14日以来持ってきていた荷物を押し込んだ。実はこれだけのためにわざわざ武蔵浦和に寄ったのだが、おかげで後半は比較的楽に動くことができるのだ。
一旦南浦和からの飛び出し運賃を払って改札を抜けると、再び南浦和までの切符を買って入場。武蔵野線で南浦和に戻る。
南浦和では予定時刻を50分遅れての通過になる。一応今日の到着地である新宿までは何とか着くものの、念のために遅れを取り戻すために南浦和と武蔵浦和は30分ルールを無視することにした。この2駅は私も知っているところなので、目をつぶることにする。
南浦和からは京浜東北線電車。209系電車が幅を利かせているが、乗った南浦和始発の電車は103系電車だった。改札に近い車両から車番を控え、結局最後尾の車両に落ち着くことになった。
赤羽では予定通り30分空ける。自動改札は通れないので有人改札を通るが、改札氏は「途中下車ですね」と確認してから下車印を捺した。東京近郊区間ではこのあとも下車印を捺されることが多かったのだが、北海道、東北と下車印を捺されないことが多かっただけに新鮮に感じた。
赤羽からは埼京線に乗る。埼京線は205系電車で統一されているので車番控えは比較的楽なのだが…
着いた電車を見て目を丸くした。
先頭の車両がクハ204-96!
実はこの旅を始める前の7月11日、「最長片道きっぷの旅」の前振りとして指扇から様似までのきっぷを使った旅を行っており、その時に最初に乗った電車が奇しくもこの編成だったのだ。
(様似は「最長片道」の始発なのだが、このきっぷの発駅の「指扇」は、実は私が鉄道に興味を持つきっかけになった場所で、私のいた家の目の前を川越線のキハ35系ディーゼルカーやDE10牽引の貨車を見て育ったものである)
2度目の武蔵浦和は一応少しは時間をとって、駅前の様子を見た。やはり2路線の交点ということもあって、駅前は栄えている様子が見受けられた。
15時21分に武蔵野線で西に向かう。もともと武蔵野線は貨物のバイパス線として建設した経緯があり、踏切もなければ急勾配もない。それがまた快適な旅を演出する。西浦和を出た時に車両ががくんと揺れたが、府中本町から大宮方面に出るルートがメインルートで、駅に乗り入れるルートが枝線扱いというのも面白い。東武東上線との接続を取る北朝霞を通り、大宮、新三郷が廃止になって県南地区唯一の貨物扱いとなった新座と通過する。そういえば武蔵野線と東武との交点には駅があるが、JRの南越谷、北朝霞に対して、東武は新越谷、朝霞台と駅名が統一されていない。何となく違和感があるのはやはり武蔵野線の建設の経緯からなのだろうか。ちなみに西武とは接続駅がないというのもまたそれはそれで徹底しているといえなくもない。
東京都に入った新秋津からはトンネルに入る。今は用地買収の絡みでトンネルを掘った方が早く開通するようである。それだけトンネル技術も確立されたという証なのだろうか。一瞬地上に出て新小平に停まり、出るとまたトンネルに入って、トンネルの中で中央本線への分岐線と別れる。トンネルを出て勾配を登ると、間もなく西国分寺に出た。
西国分寺の駅前を歩いてみて、何となくこの駅の雰囲気が分かりにくいな、と感じた。
東西に中央本線が通り、それを武蔵野線が南北に乗り越しているのだが、さっき勾配を登ってきたにもかかわらず改札が上にあるので、何が何だか分からなくなる気がした。
恐らくこの駅に方向音痴の人が来たら、間違いなく迷子になることこの上ないだろう。
中央本線の「快速」東京行きで新宿に向かう。本来は「快速」には乗れないのだが、それではと「各駅停車」に乗ると、実はかなり遅くまでこの駅に残らなければいけない。少なくても22時にならないと「各駅停車」は西国分寺に来ないので、結局「特例」が必要になる。実際中央本線のオレンジの電車は「快速」の表記はなく、逆に「各駅停車」の表記が行先表示幕にされる希有なところである。
もっとも各駅停車列車が出る三鷹でその例外規定は満たされなくなる。「快速」の車内はいつものように混み合っていた。
三鷹では南口に出たが、これが東京の駅とは思えないほど庶民的な佇まいであった。
その三鷹から総武線直通の各駅停車電車に乗って、新宿に到着。
今日はここで打ち切って、そのまま埼京線で家に戻ることにした。私の家は大宮だけでなく埼京線の与野本町からも戻れるのだ。
途中武蔵浦和に三たび立ち寄ってコインロッカーに収めていた荷物を取り出すと、駅中にあった喫茶店でビールを飲んだ。