スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

そういやあの悲劇からもう15年も経ったのか…

 そうか、もう15年経つんだ、なんてつい感慨にふけっておりました。
 アイルトンも生きていれば49歳、F1もうとっくの昔に引退して、実業家として成功を収めていたのだろうなと思うのですが。
 私がF1に生き甲斐を感じていたときは、ちょうどアイルトンがマクラーレン・ホンダで絶頂期を迎えていた頃で、数々の名勝負を幸運にも見ることができたものでした。
 未だにF1の歴史に残る92年のナイジェル・マンセルとのモンテカルロの肉弾戦。ヨレヨレのマクラーレン・ホンダで当時最強のマンセルのウィリアムズ・ルノーを抑え切ったドッグファイト。(なにせ「トップの」アイルトンに本来バックマーカーに出される青旗が掲示されたくらいだから)
 ホンダエンジンを失ったマクラーレンで一旦5位に落ちながら、しのつく雨の中でまるでワルツを踊るかのように前の車を次々とオーバーテイク、たった1周で4人抜きをしてトップに躍り出た93年の雨のドニントンパーク。
 さらには、次々にギアボックストラブルで使えるギアを失い、しかも終盤雨の降り始めた中を6速オンリーで走りきって8シーズン目で初めて母国GPを制した91年のインテルラゴス
 なんだか本当に懐かしく感じます。
 アイルトン亡き後、デイモン・ヒルを応援しつつ、仕事が本格的に始まった98年頃からF1熱は冷めていったわけですが、ある意味アイルトン・セナは青春の1ページに名前を刻んだアスリートだったと思います。


 てなことで、そんな5月1日。結構走り回りました。
 とりあえず明日から5連休となるわけですが、だからといって旅をすることもできず、結局仕事に行くことになりそうな予感です。
 まあお金がないからしょうがないとは思うんですけどね。