スーパー白鳥13号運行記録3

このブログは超ぐうたらワンマン運転士の日常(もはや気が向いたら、という気もw)を書いたブログです。はてなダイアリーで公開していた運行記録2が今年の春になくなるため、新たに作成しました。2005年11月4日…「運行記録2」暫定開業/2005年11月14日…「運行記録2」本格開業/2019年1月13日「運行記録3」移行開業

不定期連載、最長片道きっぷの旅'93 vol.42

 すみません、なんだかここに来てテンションが思いっきり下がっていまして。
 今日はさすがにレポやめようかな、とも迷いましたが、まあやることにします。
 書いているうちにテンションが上がればいいんですけどね。


第37日目(8月30日(月))曇り
 三次→広島→小郡→益田
200 三次5:30→広島7:11(831/1-6/スハフ12 1004)
201 広島8:58→岩国9:44(1535M/1-4/クハ115-3005)
202 岩国10:46→徳山11:58(535M/1-4/クハ115-2018)
203 徳山13:01→小郡13:44(2451M/1-4/クハ115-152)
204 小郡14:25→山口14:48(641D/2-2/キハ28 2107)
205 山口16:13→益田18:26(547D/1-2/キハ47 508)


 今日は三次5時30分発の列車で広島に向かうことにしている。そのため5時15分にホテルを出たのだが、まだ夜の雰囲気である。この時期、西日本では日の出が6時近くなっているのだから仕方がないのだが、5時前には空が明るくなっていた北海道が思い出される。


 三次からの列車〜数え間違えがなければちょうど200番目の列車〜は客車列車である。6両編成の12系客車をDE10が牽引する。5時30分定刻に発車すると6両編成と長い編成であるにもかかわらず小さな駅にもこまめに停車する。発車も驚くほど早い。客車列車の場合は無線連絡によって、「ドア閉め良し、831列車発車OKです」「了解、831列車発車します」といった機関士と車掌とのやり取りがあってから動くので、ドアが閉まってからも10秒程度は停まっているものだが、831列車ではそういった連絡を省略しているのか、ドアが閉まってすぐ動き出す。空は明るくなったが、曇っているようである。今日はさほどでもないのだが、ここ数日体調を崩し気味なので、できるだけ暑くならない方が都合がいい。
 列車はしばらく可愛川に沿って走る。この辺りはこれまでの田舎の風景とそう変わったところはない。そのうち可愛川が右の方に消え、吉田口から分水嶺越えに挑む。分水嶺を越えると向原。次の井原市からは広島市に入る。
 志和口の辺りから広島への通勤・通学圏なのだろうか、乗る人が目立って増えてきた。狩留川で初めて対抗列車とすれ違う。備後落合行きで折り返しが急行なので緑色のキハ58である。この辺りでは川の流れも広く、深くなってきている。間もなく三段峡の方から流れてきた太田川と合流する。その合流地点に下深川がある。下深川からは間違いなく通勤・通学圏で、6両編成の席が埋まり、立ち客が出るほどである。下り線には休日運休の狩留家行きが停まっているが、後ろの何両かがここで切り離されて、この列車の10分後に出る広島行きとなる。
 次の玖村であろうか、太田川芸備線すぐそばまで近付き、列車より高い堤防が右にそびえ立つ。安芸矢口、戸坂とさらに乗り、矢賀でさらに乗ってくる、と思ったら矢賀では降りる人の方が多かった。キリンビールをはじめ、会社・工場が少なくないのだろう。山陽本線と合流し*1、新幹線の下をくぐって7時11分、広島到着。


 広島に来たらどうしてもここを訪ねたい、というところがある。2時間近く間があるので、訪れようということになり、市電乗り場に歩く。
 広島駅の市電乗り場は2つある。手前側にあるのが5号線*2の比治山下経由宇品*3行きの乗り場があり、さらにずっと歩くと、1号線の紙屋町経由宇品行き、2号線の己斐*4行き、6系統の江波行きと、宮島線直通の宮島*5行きのホームが現れる。案内所はこのホームにある。
 ちょうど宮島行きの電車が停まっている。市内電車はワンマンだが、宮島線直通には車掌が乗っている。*6 その車掌は一番後ろのドアのところに立っていて、ドアそばのボタンでドアを開閉させている。車内で降りようとしている客の位置、そして停留所で乗ろうと待っている客の位置から、どのドアを開けるかというのも選択できる。
 紙屋町では交差点の手前で停まる。ドアが開閉し、電車が動き始めたので、次は原爆ドームと思って降りる準備を始めていると、間もなくアナウンスが入り、あっという間に電車が停まった。しかもそこも「紙屋町」であった。*7
 広島電鉄には7系統*8ある。
  1号線:広島駅〜紙屋町(東)〜市役所〜宇品
  2号線:広島駅〜紙屋町(東西)〜十日市町〜己斐(〜宮島)
  3号線:己斐〜紙屋町(西)〜市役所〜宇品
  5号線:広島駅〜比治山下〜南区役所〜宇品
  6号線:広島駅〜紙屋町(東西)〜十日市町〜江波
  8号線:横川〜十日市町〜江波
  9号線:八丁堀〜白島
 このうち紙屋町を通るのは1・2・3・6号線*9だが、2・6号線は本線を直進し、1号線は東から、3号線*10は西から南の方に曲がるT字形の接続駅である。こういう場合にはそれぞれの分岐前の地点に停留所を置くと比較的スムーズに流れると思われるが、紙屋町は広島市の中心といってもいいくらいに交通量が多く、また乗降客も多いので、分岐前に停留所を置くと例えば広島駅行きのホームが2つに分離して混乱をすることが予想されるだけに、あえて本線上に2つ停留所を置いて、乗り換えやすくしたのではないか、と思われる。
 閑話休題
 次の原爆ドーム前で電車を降りる。すぐ北には市街のまっただ中にある広島市民球場*11、そして南には原爆の参加を50年近く経った今に伝える原爆ドームがある。私は8年ぶりに平和記念公園を歩いてみた。「原爆の子の像」には今もなお多くの千羽鶴が供えられていた。次に平和記念公園の中心にある原爆死没者慰霊碑に足を向け、黙祷を捧げる。
 他にも平和記念公園内をいろいろと散策したい誘惑にかられるが、さすがに時間がそれほどあるわけではないので、そのまま原爆ドームの停留所に戻ったが、8年前と変わっていない風景に安心し、これからも変わらずにあってほしいなとも思う。
 原爆ドーム前から再び電車に乗って広島駅に戻る。既に通勤時間帯に入り、電車はかなり混んでいる。私は連接車のA号車の入り口から入ったが、ここにも車掌が立っている。通勤時間帯は車掌が一人では前の方の状況が分かりにくいので、先頭車の入り口にも車掌が立っていて、先頭車のドア扱いも行っている。この位置にも運賃箱が置いてあるので、4つあるドアのうち、中間車両以外の3つから降りることができるのである。
 市の中心街を通るうちに客があっという間に降りてしまい、5号線の合流する的場町ではとうとう客が7〜8人になってしまう。2人の車掌が切符や運賃を回収して回る。*12市内は130円均一*13宮島線からの直通客も市内区間は同一運賃なので駅に着く前でも回収できるのだ。信号待ちなどをした後、広島駅に戻ってきた。


 しばらく広電のホームで出発の様子などを見て感心しながら、今度はJR広島駅から旅を続ける。1番線ホームからの岩国行きは、およそ通勤にはそぐわないような115系の2扉車である。
 広島を出ると新幹線の北に出て太田川を渡り、最初の駅・横川に着く。横川は可部線の乗り換えがあり、景勝の三段峡に行くことができるが、末端の当たりは深名線にも引けをとらないようなものすごい区間だそうである。*14次の西広島からは広島電鉄と競合区間になる。広電のホームをよく観察してみると、高いホームと低いホームがくっついたような形をしている。広島電鉄西広島〜宮島口間は鉄道線として営業しているが、市内電車として広島駅に乗り入れている関係で、市内電車に乗れるように低いホームを増設したのだそうである。
 広電の終点である宮島口からは左の窓に海が見えてくる。瀬戸内海の向こうに宮島も見える。宮島口で乗客がかなり降りたので、車内も大分空いている。県境を越えたという意識のないままに山口県に入り、岩国に着く。
 岩国からは海沿いの区間を通る。岩徳線が右に去って、左に瀬戸内海が再び見えてくると、心が洗われる気分になる。左に屋代島が見え、屋代島への唯一の足である大畠大橋をくぐると大畠。大皇山や皇座山のある半島が近付き、海が視界から消えると柳井である。


 ところで山陽新幹線や国道2号線、そして山陽自動車道は、柳井だの光だのといった町をことごとく無視している。これらは玖珂、周東、熊毛といったさほど大きくない町を通る。よく見るともう一つ鉄道線がある。岩国で別れた岩徳線である。こちらの方が柳井回りよりも21.7km短く、こちらの方が山陽本線と名乗ってもよさそうなのだが、実際には柳井回りが「本線」を名乗っている。
 ところが歴史上、岩徳線が「本線」を名乗っていた時期があった。国鉄は戦時中に国防上の理由と時間の短縮を目的に岩徳線ルートを開通させ、こちらを「山陽本線」、そして柳井回りを「柳井線」と改称させたのである。東海道本線御殿場線の関係に似ている。ところが皮肉なことに、この「山陽本線」のルートが輸送力増強のために複線化を図る際に急勾配とカーブがネックとなり、さらに超大トンネルの欽明路トンネルをもう1本掘らなければならないことが判明したため、平坦な柳井線を再び「山陽本線」に戻し、「山陽本線」として開業したルートは「岩徳線」というローカル線に格下げされたのである。
 もっともこのような事情から、岩国〜櫛ヶ浜間は距離の短い岩徳線経由で運賃を計算するというルールができたのである。


 光から列車は再び海沿いに走る。光や下松といったところは昔は漁業で生計を立てていたのであろうが、今は重化学工業都市の一つとして名を知られている。もっとも今年の夏にここの高校*15が甲子園に出たので名前を覚えた、という人も少なくないだろう。
 櫛ヶ浜岩徳線を合流すると、次は徳山である。


 徳山からは2451Mで小郡*16に出る。この列車は毎週水曜日が運休になるという。ただ時刻表を見ると当分の間は毎日運転するようだし、第一今日は月曜日なので運転する。もともと2451Mは広島10時58分発の列車がそのまま下関まで直通するのだが、2451Mの運休日では徳山でストップする。
 岡山・広島支社管内の山陽本線では、区間別に何本か「水曜運休」の列車が存在する。それも1本だけのところもあれば、広島〜岩国間のように5本連続で運休の注釈のついているところもあり、どの区間でも1時間列車の走らない区間が存在する。この1時間で何をするかというと、保線作業を行うのだそうである。夜間の人手が足りないための苦肉の策なのだろう。*17
 寝不足ぎみなので少々ウトウトする。が危うく小郡を通り過ぎるところであった。私は寝過ごして計画をメチャメチャにしてしまうことが少なくない。


 小郡から山口線で山口まで入った後、山口16時13分発の列車で益田に向かう。私はいつもひし形をした「列車停止目標板」から乗車位置を割り出している。山口駅には3と5の目標板、そして×印もその先に見える。が、3の目標板の上に「547D」と書かれた長方形の小さい板もある。
 目標版は列車の停車位置の目安であり、山口駅の場合、3両以下の場合は3の位置、4・5両編成の列車は5の位置、それ以上の編成の場合は×の位置で停まるという約束ごとがある。3の上に「547D」とあるのは、547Dが本来4両以上の編成であることを示している。16時10分に547Dが4両編成で入ってきたが、手際良く後ろの2両が切り離されて、定刻の16時13分、2両の身軽な編成になった547Dは静かに山口駅を離れた。
 小郡から山口までは平凡な風景だったのだが、2つ先の宮野を出た当たりから突然山を登りはじめる。山の麓の仁保では「ほに」と書かれた駅名板が登場する。分水嶺を越えた篠目でも「め乃志」と書かれた駅名板であった。運転していれば仁保ですれ違うはずの「SLやまぐち号」は平日だからか運転されていなかった。
 周囲には稲が稲穂をつけている。ただ異常なほどの長雨と天候不順で、穂のできが遅いものや、なぎ倒された感じのものもある。しばらく小さな川の谷間にそって走り、徳佐からまた坂を登って県境のトンネルを抜けると、津和野の細長い盆地に出る。暫くすると津和野の町が見えてきて、津和野城趾や神社とその参道が左手の方に現れる。津和野川を渡ってしばらく走ると津和野の駅に着いた。列車が2時間ほどなく、高校生がたくさん乗ってきた。
 日原は岩日線の終点となるはずだったのだが、既にその計画は露と消えた。津和野川と吉賀川の合流地点にできた集落である。川と国道9号線にそって谷を下ると、18時26分、益田駅に着いた。


 益田での宿は駅の裏手にあり、地図を見て歩いたつもりが迷路のように感じられてくる。結局いろいろと彷徨った結果、20分を少し超えてやっと宿にたどり着いた。

*1:合流地点の広島貨物ターミナルから広島までは山陽本線芸備線の二重戸籍である

*2:広島電鉄では「系統」ではなく「号線」と呼んでいるのでそれにあわせます

*3:現在の広島港

*4:現在の広電西広島

*5:広電宮島口

*6:現在は2号線以外でも車掌が乗っている連接車を導入している系統もある

*7:現在は広島駅方の停留所を「紙屋町東」、原爆ドーム方の停留所を「紙屋町西」と区別している。ただし両方とも「紙屋町電停」として扱われ、両停留所間を徒歩で移動しての乗り継ぎも可能である

*8:現在は8系統。7号線の横川〜広電本社前間が現在あるが、当時も稼働していたかは不明

*9:プラス7号線

*10:と7号線

*11:老朽化のため2009年3月で閉場

*12:2006年に乗務員による運賃着服が明らかになったため、現在では客が運賃箱に乗車券や運賃を入れる形になっているようである

*13:現在は白島線(100円)を除き150円

*14:そういう区間だからか、2003年に非電化区間の可部〜三段峡間が廃止された

*15:光高校

*16:現在の新山口

*17:JR西日本では保線の都合により、現在も特定の日に列車を止めてしまうことが多々ある。ローカル線辺りだと、その代替の交通手段を用意していないから質が悪い